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2020年3月10日火曜日

本当は助けてほしかったのでは。“通り魔になる理由”

 突然、なんの関係もない人を襲い、殺してしまう通り魔。
その犯人の大半は犯行後、自ら死を選ぶ場合が多い。

 そう考えると何故一人で死のうとしなかったのか。そんな疑問が残る。

僕はふと、その件についてこう思った。

「彼らは、助けてほしかったのでは無いのだろうか。」

通り魔を起こした犯人の生い立ちを調べてみると、
ほとんどと言っていいほど悲惨な家庭環境や荒んだ生活環境の中で生きていたことがわかる。

本来ならそういった状況下におかれた人はうまく支援してもらったり、その人が賢ければ自分で何とか解決したりするのだが、通り魔の殆どはそれがうまくできていなかった。

人間、誰だって何かしらのSOSを示すことはあるが、彼らはそれすらできないほど窮地にたたされていたのではないのだろうか。

SOSを求めたら社会的弱者のレッテルを貼られると思い込んでしまっても何らおかしくない。
そうなるくらいなら、社会の一部である他人を巻き添えにして自分の人生を終わらせたいと思い、通り魔になってしまうのではないのだろうか。

僕たちが通り魔を防ぐにはまず、誰かが示したSOSに真摯にむきあってあげることではないのだろうか。助け合うことで救える命があるのでは無いだろうか。

2019年6月11日火曜日

殺人事件に完全な共通点は存在しない。

 いきなりハードすぎるタイトルで申し訳ない。
しかし、僕が思いついた考察をこのまま僕の中に封印するのは勿体無いので、
ここにその考察を書き示そうと思います。

 ニュースを見るとたまに、否、しばしば知ることになる殺人事件。
「人は人を殺してはいけない」という全人類に共通したルールを侵した重大な犯罪。

何故、人は人を殺すのだろうか。

この問題を解決するためにも、前もって殺人事件を予防するのが一番いいのだが、
世間はそう甘くない。

例えば全ての殺人事件に共通する点、例えば犯人の生い立ち、殺人の動機、何を見て、聞いて、知ったのか。
こういった共通項があればそれに関して何かしらの予防法を見つけられるだろう。

 しかしながら、単刀直入に言ってしまえば『そんなもの、存在しない。』ということ。

例えば10件の殺人事件があったとすると、その10件すべてに共通するものは存在しない。
ただ、そのうち2,3件は共通点があるかもしれない、ここが重要である。

具体的な例を挙げてみると、『土浦連続殺傷事件』と『付属池田小事件』の二つを比べてみよう。

 この二つの殺人事件の共通点に「死刑になりたかった」という犯行動機がある。
しかし、それ以外を見てみると犯人の生い立ちや親子関係など、全くもって違うのである。

よく言われる殺人の原因に「幼いころ、どういった家庭環境で育ったか」というものがあるが、これも曖昧でよくわかっていない。

最近になっておきた『川崎市登戸事件』とおよそ十年前の『秋葉原通り魔事件』も比べてみよう。
秋葉原通り魔の犯人はネット依存の傾向があったのに対して、川崎市通り魔の犯人はネット環境のない空間に引きこもっていたという。

殺人事件には何かしらの共通点はあるものの『完全な』共通点が存在しない。
そこに行き着くまでに何があったのか、何が引き金になって殺人を犯したのか、
似たようなものでもそれぞれ違っている。

言ってしまえば未だに殺人が絶えないのは完全な共通点をまだ見つけられていないからである。


 これからのブログ活動ですが、これまでどおりイラストの掲載と、こういった事件の考察も記していこうと思います

2016年8月9日火曜日

おっさんの読書感想文『かいけつゾロリシリーズを読んで』

おっさんの読書感想画「自・由・人」

もう夏休みの季節。夏休みといえば色んな宿題。その中でも一番難しいであろう宿題が「読書感想文」だろう。佳孟もこれには毎年苦戦していました、でも意外とやってて楽しい宿題でもありました。

そんなわけで、今年で25になるオッサンが久々に読書感想文を書いてみようと思います。


で、紹介する本は『かいけつゾロリ』シリーズ(ポプラ社、文・絵:原ゆたか)。幼稚園から小学生向けの児童書籍である。
「何でこの歳になって児童書籍の感想文なんか書くんだよ」と思われるが、
理由は単純明快。面白そうだったから。かいけつゾロリをこの歳になって読んで見ると実に興味深い事が次々と発見できたんである。

今回は「話の内容についての感想」ではなく「このシリーズを通しての『外側』の感想」を書こうと思います。

まず最初にこの「かいけつゾロリ」シリーズが誕生した経緯を説明すると。
元々「かいけつゾロリ」は「ほうれんそうマン」シリーズ(文:みづしま志穂、絵:原ゆたか)というストーリーを別の作者が手がけていた作品のスピンオフとして書かれたもので、かいけつゾロリシリーズの主人公ゾロリはこのほうれんそうマンの悪役として登場していたんである。

この手の児童書籍(絵本・小説)を評価する際に重要なのは
「本の内容(挿絵・文章)が子どもに媚びているかそうでないか」である。
(子どもに媚びている内容だと評価は低い傾向にある。)

この「かいけつゾロリ」シリーズは子どもに媚びているのかそうでないのかを問われると、
それ以前にこの本自体が子どもっぽいんである。
まるで作者が子ども心むき出しで書いているとしか思えないんである。
「次のページを書くのが楽しみで仕方ない」作者の心情が伺える。

佳孟がこのシリーズの本を借りた図書館には残念ながらシリーズ全巻は置いていなかったので、
何ともいえないが、シリーズ全体の雰囲気を通して感じたのは「読んでいて非常に楽しい。」ということ。
多分、著者も童心にかえってこの本を書いている事だろう。読んでいるこっちまで童心にかえってしまった。

もう一つこのシリーズで特筆すべき事は「自由である」ということ。童心ならではの発想がこの本に詰まっているんである。具体例を挙げると「挿絵と文章で遊んだり出来る」「挿絵の人物がフキダシでしゃべる」等が挙げられる。

総括すると、この「かいけつゾロリ」シリーズには「本が持つ全ての可能性がいっぺんに詰まっている」のである。表紙から裏表紙まで全てに作者の遊び心が満載なんである。

このシリーズ、コミック版やアニメ化、映画化もされるほどの人気を博したが、大人になった方は是非とも原作となった書籍を読んでもらいたい。そこで本の持つ全ての可能性を楽しく感じてほしい。


〈オマケ〉

読書感想画というものがあるが、これの作品コンクールで入賞するコツは
「本の挿絵っぽくならないこと」である。あくまで感想を絵で表現するものなので、
挿絵になったら意味がないんである。

ちなみに佳孟は中学3年で入賞しました。