2025年9月5日金曜日

ルーティーンについて思うこと

 

ルーティーンを好む人は積み重ねることで結果が出ることを信じて努力する人で、

ルーティーンを嫌う人は人生や社会を多様に、そして豊かにするために考え、努力する人である。 

 

 以前の記事でイチロー選手について考察しましたが、今回はその中で紹介したルーティーンというものについて、もうちょっと深く考えてみようと思います。

 

 まず、イチロー選手はとにかくルーティーンにこだわる人であることは割と有名な話で、

毎日カレーを食べる等があります。

 

 このルーティーンというこだわりや習慣は、発達障害とよく関連しているらしく発達障害を持つ人の大半は何かしらのルーティーンを好む傾向にあるそうです。

 僕も自閉症スペクトラム障害、あるいはアスペルガー症候群という発達障害を持っているためか、割とルーティーンにこだわるようで、例えば仕事前には必ずコーヒーを飲むようにしてます。

 また、このルーティーンを好む性格が原因か、趣味のイラストを描く時でも、若干の違いはあるものの、一見してほとんど似たような構図になってしまいがちなようで、何度か閲覧した方からのコメントで「似たような絵ばかり」というコメントをいただいたことがります。 

 でも、今の仕事においてこのルーティーンを好む性格はかなり強みになっていると思うんですよね。

 今の仕事は特に例外がない限り毎日ほとんど同じことの繰り返しですが、 これをルーティーンという習慣にしているため、これといって辛いと思うことはあまりありません。むしろ、仕事している間は仕事に集中できるため、余計な考えが出なくて精神的に落ち着くんですよね。

 

 当然ながら、僕みたいにルーティーンを好む人もいれば、ルーティーンを嫌がる人もいます。でも、そっちのほうが普通なのは理解しています。

 でも、ルーティーンを好む人も、そうでない人も、努力はその人なりにしている人だと思うんですよね。ルーティーンを好む人は積み重ねて結果を出す人で、そうでない人はバラエティに富んだ考え方 で世の中や自分の人生を鮮やかにすることをいつも考えていることをちゃんと努力していると思うんですよね。

 

 ルーティーンというのは、人によってその存在意義が変わるものなんでしょうね。

 

  一万種類の蹴りを一回ずつ練習した者は怖くない。

  私が怖いのは、 一種類の蹴りを一万回練習した者だ。

   _ブルース・リー

2025年8月31日日曜日

もしかしたら、女神様に出会っていた話

 

幸運の女神、lady luckなんでものがありますが、本当にそんな存在なんているんでしょうか?

僕は、いると信じています。というか、知らぬうちに出会っていた可能性があったと思っています。

 

 そう、それは僕が今の職場で働くことになった最初の頃。

僕に任された仕事は事務所や工場内の清掃や、トレーの洗浄といった雑用みたいな仕事。

その時、僕にその仕事のやり方を教えてくれたのが、多分だけど僕よりも明らかに年上の女の人だった。歳上なんだけど、老婆というほど年齢は高くはなかったはず。

  彼女はとにかく喋り方も教え方もとてもやさしく、僕は彼女のお陰ですぐに仕事をこなすことができたんです。

 少しばかり、僕は彼女が愛おしく感じることもありました。

 しかし、時が経ち、彼女は年齢の理由もあってか退職することになったんです。

そのとき、 ぼくは、何だかさみしい気持ちになったんです。でも、その時こんなことを思いついたんです。

 「自分を親切にしてくれる人を大切にするんだ。でもどんなに大切にしてもいつかは別れなきゃいけない時が来る。その時は、『さよなら』じゃなくて『ありがとう』って言える別れ方にしよう。」 

彼女が退職して今はしばらく時間が立ちましたが、僕はあの時よりも少し仕事がうまくできるようになったような気がするんですよね。

 僕はこう思っています、あの人こそが僕にとっての女神様だったんだって。

女神様は神々しくてすぐに分かるような外見をしていません。より身近で最初のうちは気づかないものだけど、時間が立つにつれて何かのきっかけで女神様だとわかる時が来る。僕はそうだと信じています。 

2025年6月29日日曜日

鈴木雅之さんのコンサート

 

昨日の土曜日に、広島で開催されたラブソングの帝王マーチンこと鈴木雅之さんのコンサートを観に行きました。

 

非常に素敵な体験になりました。

 

 いや実を言うとね、このコンサートの前にちょうどネットで某人気アメリカ製Webアニメのキャラクター同士のカップリングを見て、初めてアニメで尊いという気持ちに胸ときめいたんですよね。そしてその絶妙なタイミングでラブソングの帝王のコンサートって、まるでこれは運命としか思えないんですよね。

 電車とバスで会場とホテルに到着するまでずっとそのカップリングのことばかり考えてました。そのせいか電車とバスの窓から見える景色がなんだかとてもロマンチックに思えたんですよ。

 

 もちろんコンサート中はテンションばくあげでした。知ってる曲でも初めて聞く曲でもマーチンの美しいダンディーな歌声にただ魅了されるばかりでした。

 

最高のひとときを堪能いたしました。 

2025年5月8日木曜日

34歳の僕が直面するであろう「ある問題」

 

佳孟は今日で34歳の誕生日をむかえました。

 本来ならここは祝うところですが、今回はあえて僕が直面するであろうある問題について話そうと思います。

僕が直面するであろう問題、それは「4070問題」というもの。

簡単に説明すると、40代になる子供の世話を70代になる親が面倒を見るという問題。

場合によっては「5080問題」とも呼ばれています。

僕みたいに発達障害が理由でこの問題を抱えている家庭もあるそうです。

初めて僕がこの問題を知った時、「これは他人事ではないな。」と痛感いたしました。

 

ただ、誤解しないでほしいんですが、僕は完全に親に頼りっぱなしではないということは確かです。

一応、ちゃんとした仕事も今のところそつなく出来ているし、 短大に二年いた頃はアパート借りて一人暮らしもしていました。最近では収入が減った親のために家賃として一万円くらい払うこともしています。いつでも自立できる準備は出来ている状態です。

ひとつ、心配なのが「お金の問題」なんですね。働いてはいるんですが、現在の収入では一人暮らしはちょっとむずかしい、と思うのが問題なんだと思ます。

 

佳孟が40歳になるまであと6年。それまでにこの4070問題を解決しなくてはなりません。そう痛感いたしました。

2025年4月19日土曜日

ためになるゲームとは…

 

ここ最近、僕はビデオゲームやスマホゲームやらで遊ぶことは殆どなくなった。

理由はわからないが、ゲームよりも絵を描くほうが楽しくなったからだと思う。

 

 そんな僕がゲームという遊戯について最近思っていることを書きたいと思います。

 

 ここ近年のゲームの特徴として「ネットワーク通信」に対応、もしくは必須事項であることだろう。インターネットを通じて遊ぶゲームは昔からあったが今ほど人気にはならなかった。

 それまで一つのゲーム機で複数人が同時にプレイするためにはプレイする者同士が同じ場所にいなくてはならないが、インターネットを利用すれば遠く離れた者同士で複数プレイが可能というメリットがある。

 ネットワークをゲームに使うことはそういった利点もあるが、こういうものには大抵の場合、問題点もある。

 最近のニュースで取り上げられたのを見たのだが、オンラインゲームを通じて知り合った学生が事件に巻き込まれるというニュースが報道された。他にも何回かスマホゲームのやり取りで詐欺犯罪をさせられるために海外に誘拐されるという事件もあった。

 こういったゲーム自体を否定しているわけではない、そもそも問題はゲームではなくこういった事件を起こす人間に問題があるだけでオンラインゲームやスマホゲームに罪はない。

 しかしですよ、どうやら最近の学校ではプログラミングという授業があるそうです。

 ビデオゲームがこれだけ問題になりながら、ゲームには必須のプログラミングを学ばせるというのはどういうことなのか。いや、ゲーム以外にもプログラミングが重要なものはあるはずです。多分そっちのためにプログラミングを学ぶんでしょう。

  

 で、僕が思うのは、ゲームってのはみんなとコミュニケーションをとるためのものであるべきなんだと思うんです。

 では、それができてなおかつ犯罪に利用されにくいゲームってなんなのか。 

 僕が思うに、それは卓上で遊ぶゲーム、いわゆるテーブルゲームだと思うんですよね。

 テーブルゲームの中でも、一番楽しくて、なおかつ簡単に遊べるゲームはトレーディングカードゲームだと気づいたんです。

 トレーディングカードゲームは1993年にアメリカで発売されたマジック:ザ・ギャザリングが最初と言われており、日本で有名なものを挙げると遊戯王、ポケモンカードゲーム、デュエル・マスターズの3つがあります。

 テーブルゲームは比較的安価に遊べるものが多くビデオゲームとは違って対面方式で遊ぶものが多く、コミュニケーションを培うにはもってこいの遊びだと思うんですよね。

 最近では100円ショップのダイソーでもトレーディングカードゲームが販売されているようで、気軽に手に取りやすいゲームだといえるでしょう。

 最後に、僕がビデオゲーム、スマホゲーム、テーブルゲームなどのゲームすべてに関して願っていることは、できれば「ゲームを遊ぶ人ではなく、ゲームを創る人になってほしい。」ということです。特にビデオゲームを作ることは社会の理想的なあり方の縮図のようなものだと思ってるんです。ビデオゲーム制作には様々な役割を持った人が制作に携わってます。プログラマーはもちろんグラフィックデザイナー、サウンドクリエイターなど、その人が持っている才能をそれぞれが協力し合ってゲームは作られます。

 学校では嫌煙されがちなゲームでも学べるものはある、僕はそう思っています。

 

楽しんで学べる「教育」よりも、気がついたら学んでいるような「娯楽」を与えたいのです。
 

_ウォルト・ディズニー

2025年2月28日金曜日

Happy loser(幸せな負け組)

 

スポーツやゲームにおいて、勝ち負けはなくてはならないもの。

それぞれが勝利のために努力し、本番で出せるすべての力を出し切って勝利し、その喜びをオーディエンスと共に分かち合う。それはとてもいいことだと思います。

 

 でも、勝敗を決めなくてもいいことに勝ち負けを決めてしまっている人もいるような気がします。

 よく人生の勝ち組だとか負け組だとか言ってる人もいますが、それに僕は最近疑問を抱いています。

 仮に、人生に勝敗があったとしても、それで負けていることが事実だったとしても、それって不幸なことかというと、決してそうとは限らないと言うことに気がついたんです。

 この記事のタイトルのHappy loser(幸せな負け組)とはつい最近思いついた言葉です。

 学歴が低くても、収入が少なくても、考え方次第で幸せに思えることはきっとあります。

 いや、むしろ、敗北を経験してないと小さな幸せを見失ってしまいます。

勝たなくても、負けっぱなしでも、ほんのちょっとした幸せに、とても嬉しい気持ちが湧き上がってくるような心を持つべきなんだと思うんですよね。

2025年2月21日金曜日

音に対する感覚

  発達障害の人に多く見られる症状の一つに、感覚過敏というものがある。

味覚、聴覚、視覚など、それらに対して強い刺激が苦手なことだ。

 特に聴覚に関する刺激に弱い、苦手という発達障害者は結構いる。僕もその一人だ。

 

 今でもそうだが、僕は人の怒ったような声や人が怒られている場面がとても苦手で、子供の頃はこれが原因でパニックを起こして暴れまわっていた。僕が学校が嫌いだった理由はこれだった。

 タレントで発達障害を持つ栗原類さんはインタビューで子供の頃、音楽の授業が苦手だったという話をしている。 栗原さんは僕と同じく大きな音が苦手だそうで、音楽の授業でみんなが怒鳴るように歌う状況に耐えられず、教室を飛び出してしまうこともあったそうだ。

 

 今僕が働いている工場では、常に機械の作動する騒音がするが、この騒音に対して僕はその音は苦手という感じではない。むしろ、この騒音のおかげて人の声がかき消されるので、機械の騒音が心地よく感じることもある。

 

 発達障害の人の感覚過敏というのは非常に曖昧なもので、 苦手と思う状況とそうでない状況があることがあまり理解されていないような気がする。普通の人にはわからないこだわりみたいなものである。

 発達障害に対して誤解されないためにも、発達障害者が具体的に「こういうのが苦手だけど、これは大丈夫。」と自分の特性を周りの人に説明することができれば、その人にとってベストな状況を維持できると思うんですよね。