2025年5月8日木曜日

34歳の僕が直面するであろう「ある問題」

 

佳孟は今日で34歳の誕生日をむかえました。

 本来ならここは祝うところですが、今回はあえて僕が直面するであろうある問題について話そうと思います。

僕が直面するであろう問題、それは「4070問題」というもの。

簡単に説明すると、40代になる子供の世話を70代になる親が面倒を見るという問題。

場合によっては「5080問題」とも呼ばれています。

僕みたいに発達障害が理由でこの問題を抱えている家庭もあるそうです。

初めて僕がこの問題を知った時、「これは他人事ではないな。」と痛感いたしました。

 

ただ、誤解しないでほしいんですが、僕は完全に親に頼りっぱなしではないということは確かです。

一応、ちゃんとした仕事も今のところそつなく出来ているし、 短大に二年いた頃はアパート借りて一人暮らしもしていました。最近では収入が減った親のために家賃として一万円くらい払うこともしています。いつでも自立できる準備は出来ている状態です。

ひとつ、心配なのが「お金の問題」なんですね。働いてはいるんですが、現在の収入では一人暮らしはちょっとむずかしい、と思うのが問題なんだと思ます。

 

佳孟が40歳になるまであと6年。それまでにこの4070問題を解決しなくてはなりません。そう痛感いたしました。

2025年4月19日土曜日

ためになるゲームとは…

 

ここ最近、僕はビデオゲームやスマホゲームやらで遊ぶことは殆どなくなった。

理由はわからないが、ゲームよりも絵を描くほうが楽しくなったからだと思う。

 

 そんな僕がゲームという遊戯について最近思っていることを書きたいと思います。

 

 ここ近年のゲームの特徴として「ネットワーク通信」に対応、もしくは必須事項であることだろう。インターネットを通じて遊ぶゲームは昔からあったが今ほど人気にはならなかった。

 それまで一つのゲーム機で複数人が同時にプレイするためにはプレイする者同士が同じ場所にいなくてはならないが、インターネットを利用すれば遠く離れた者同士で複数プレイが可能というメリットがある。

 ネットワークをゲームに使うことはそういった利点もあるが、こういうものには大抵の場合、問題点もある。

 最近のニュースで取り上げられたのを見たのだが、オンラインゲームを通じて知り合った学生が事件に巻き込まれるというニュースが報道された。他にも何回かスマホゲームのやり取りで詐欺犯罪をさせられるために海外に誘拐されるという事件もあった。

 こういったゲーム自体を否定しているわけではない、そもそも問題はゲームではなくこういった事件を起こす人間に問題があるだけでオンラインゲームやスマホゲームに罪はない。

 しかしですよ、どうやら最近の学校ではプログラミングという授業があるそうです。

 ビデオゲームがこれだけ問題になりながら、ゲームには必須のプログラミングを学ばせるというのはどういうことなのか。いや、ゲーム以外にもプログラミングが重要なものはあるはずです。多分そっちのためにプログラミングを学ぶんでしょう。

  

 で、僕が思うのは、ゲームってのはみんなとコミュニケーションをとるためのものであるべきなんだと思うんです。

 では、それができてなおかつ犯罪に利用されにくいゲームってなんなのか。 

 僕が思うに、それは卓上で遊ぶゲーム、いわゆるテーブルゲームだと思うんですよね。

 テーブルゲームの中でも、一番楽しくて、なおかつ簡単に遊べるゲームはトレーディングカードゲームだと気づいたんです。

 トレーディングカードゲームは1993年にアメリカで発売されたマジック:ザ・ギャザリングが最初と言われており、日本で有名なものを挙げると遊戯王、ポケモンカードゲーム、デュエル・マスターズの3つがあります。

 テーブルゲームは比較的安価に遊べるものが多くビデオゲームとは違って対面方式で遊ぶものが多く、コミュニケーションを培うにはもってこいの遊びだと思うんですよね。

 最近では100円ショップのダイソーでもトレーディングカードゲームが販売されているようで、気軽に手に取りやすいゲームだといえるでしょう。

 最後に、僕がビデオゲーム、スマホゲーム、テーブルゲームなどのゲームすべてに関して願っていることは、できれば「ゲームを遊ぶ人ではなく、ゲームを創る人になってほしい。」ということです。特にビデオゲームを作ることは社会の理想的なあり方の縮図のようなものだと思ってるんです。ビデオゲーム制作には様々な役割を持った人が制作に携わってます。プログラマーはもちろんグラフィックデザイナー、サウンドクリエイターなど、その人が持っている才能をそれぞれが協力し合ってゲームは作られます。

 学校では嫌煙されがちなゲームでも学べるものはある、僕はそう思っています。

 

楽しんで学べる「教育」よりも、気がついたら学んでいるような「娯楽」を与えたいのです。
 

_ウォルト・ディズニー

2025年2月28日金曜日

Happy loser(幸せな負け組)

 

スポーツやゲームにおいて、勝ち負けはなくてはならないもの。

それぞれが勝利のために努力し、本番で出せるすべての力を出し切って勝利し、その喜びをオーディエンスと共に分かち合う。それはとてもいいことだと思います。

 

 でも、勝敗を決めなくてもいいことに勝ち負けを決めてしまっている人もいるような気がします。

 よく人生の勝ち組だとか負け組だとか言ってる人もいますが、それに僕は最近疑問を抱いています。

 仮に、人生に勝敗があったとしても、それで負けていることが事実だったとしても、それって不幸なことかというと、決してそうとは限らないと言うことに気がついたんです。

 この記事のタイトルのHappy loser(幸せな負け組)とはつい最近思いついた言葉です。

 学歴が低くても、収入が少なくても、考え方次第で幸せに思えることはきっとあります。

 いや、むしろ、敗北を経験してないと小さな幸せを見失ってしまいます。

勝たなくても、負けっぱなしでも、ほんのちょっとした幸せに、とても嬉しい気持ちが湧き上がってくるような心を持つべきなんだと思うんですよね。

2025年2月21日金曜日

音に対する感覚

  発達障害の人に多く見られる症状の一つに、感覚過敏というものがある。

味覚、聴覚、視覚など、それらに対して強い刺激が苦手なことだ。

 特に聴覚に関する刺激に弱い、苦手という発達障害者は結構いる。僕もその一人だ。

 

 今でもそうだが、僕は人の怒ったような声や人が怒られている場面がとても苦手で、子供の頃はこれが原因でパニックを起こして暴れまわっていた。僕が学校が嫌いだった理由はこれだった。

 タレントで発達障害を持つ栗原類さんはインタビューで子供の頃、音楽の授業が苦手だったという話をしている。 栗原さんは僕と同じく大きな音が苦手だそうで、音楽の授業でみんなが怒鳴るように歌う状況に耐えられず、教室を飛び出してしまうこともあったそうだ。

 

 今僕が働いている工場では、常に機械の作動する騒音がするが、この騒音に対して僕はその音は苦手という感じではない。むしろ、この騒音のおかげて人の声がかき消されるので、機械の騒音が心地よく感じることもある。

 

 発達障害の人の感覚過敏というのは非常に曖昧なもので、 苦手と思う状況とそうでない状況があることがあまり理解されていないような気がする。普通の人にはわからないこだわりみたいなものである。

 発達障害に対して誤解されないためにも、発達障害者が具体的に「こういうのが苦手だけど、これは大丈夫。」と自分の特性を周りの人に説明することができれば、その人にとってベストな状況を維持できると思うんですよね。

2025年2月14日金曜日

バレンタインデーなので、愛について考えてみる。

 

 今日はバレンタインデー。日本では好きな人にチョコレートを渡すというのが定着していますが、最近ではその考え方は古いようで、自分のためにチョコレートを買うという人もいるそうな。

 

 でも、僕はここ近年このバレンタインデーについて疑問がずっとあるんですよね。

 単刀直入にいいますが、「バレンタインデーで重要なのは、いかに良いチョコレートを手に入れるかではなく、どれだけ人を愛せるか。」ということをずっと思っているんですよね。

 

 以前の記事でも愛について僕なりの考察を書きましたが、今回はもうちょっと愛について考えてみようと思います。

 

 以前、僕はこの国は愛に飢えていると言いましたが、日本人はその割には恋人や恋愛というものにはやけに拘っているという曖昧な民族だなと思うんですよね。

 

 前にも話しましたが、好きなものが同じだからといって仲良くなれるとは限らない、むしろ仲が悪くなる方が多いという結論から言うと、世界的に見ても多くの日本人が勘違いして人間関係がうまくいかないのは、仲良くなる基準を間違えているからだと思うんですよね。

 僕がこれで思うのは日本人の大半は違いを受け入れる勇気が足りないのかな、ということです。

 昔からお見合いというもののあれば、最近はスマートフォンのアプリでマッチングをして恋人を探すというものも現れていますが、いずれにしろ昔から日本は間違った愛の築き方をしているような気がするんですよね。 日本が島国なゆえに昔から閉鎖的な思考に陥りがちなのは仕方がないんでしょうね。

 

 話はちょっと変わりますが、愛について深い思考を持っていた偉人は沢山います。

マザー・テレサ、キング牧師、そして社会心理学者のエーリッヒ・フロム。彼らの考える愛は若干の違いはあるものの、愛の本質を見抜いているという共通点があるんですよね。

 

 話を戻すと、日本人は恋愛には興味があるが、本当の愛の本質を知らない人が多いということ。

 「じゃああんたは愛の本質を知ってんのか?」と僕に対して疑問を持つ方もいるでしょう。

 率直に申し上げますが、僕は知りません。しかし、僕が思うに、愛の本質なんて答えになるゴールは存在しないけど、それを追求することに意味があるということ。そう、愛に到達点なんてないんです。ずっと追いかけ続けるものなんです。僕は今の仕事で本当の愛の本質を学んでいる真っ最中です。学ぶことに最果てがないように、愛を追い求める先にゴールなんてないんです。

 

 愛って大切だな。

2025年2月10日月曜日

僕の脅迫的不安

 僕には一つ悩みがある。

 

それは「脅迫的不安」 を患っていることだ。

具体的に説明すると、「家の鍵ちゃんと閉めたかな。」とか「エアコンの電源消したかな。」とか「家が火事になったらどうしよう。」とか色んな不安が次から次へと心に出てくることだ。

ある程度、「大丈夫だよ」と自分に言い聞かせることはできるのだが、たまに不安概念が苦しくて家族や周りの人を巻き込んでしまうことがあるのが、悩みなのである。

 

思い返してみると、これは最近あったっことではなく、子供の頃からそういった脅迫的不安が募ることはよくあったような気がします。 

一番ひどいときは、不安が出まくってほぼ毎日病院に通っていたときもありました。

 

最近はある程度不安をコントロールすることはできるようになった気がします。

とにかく楽観的に、おおらかな気持ちを持つことが不安を克服する方法だと思って、その思いを忘れないようにしています。

 

「楽観的になりましょう。気分が良くなりますよ。」

「どうにかなるよ。絶対大丈夫。」

2025年2月3日月曜日

おいしいコーヒーと社会貢献

  ふと思ったんですよね。コンビニで挽きたて淹れたてのコーヒー飲んでたら。

 

 高いコーヒーはそれなりに美味しさを追求したコーヒーなので、缶やペットボトルに入っているコーヒーより格別にうまいということに気がついたこの頃。

 でも、そういうコーヒーは高い。そのためには一生懸命社会のために働いて稼ぐ。

 おいしいコーヒーが社会を明るくする可能性があるというかもしれないと思ったこの頃。