2024年11月5日火曜日

嘲笑されることについて思ったこと


 嘲笑、要するにあざ笑うという反応。これまでの学校生活で嘲笑されたりからかわれたりしたことは多々あった。学校を卒業して社会人になると現実以外にもネット上でも嘲笑されたりからかわれるようなコメントを食らってた時期があった。


 僕みたいな発達障害を持っていると大抵はそう思われても仕方ないというか、自分のわがままな迷惑行為でそうなってしまったというべきか、そうされるというのは僕の責任であるわけで誰かを責めるわけにはいかない。


 嘲笑やからかわれる行為をうけた最初の頃は嫌でたまらなかった、でも最近安定してきて気づいた事がある。


「嘲笑されるということは、ユニークで、ユーモアがある人間だからだ。」


良かれ悪かれ笑われるという事は笑わせることができるということに変わりない。

むしろそれはそれまでの常識を変える絶好の機会だと思ったんですよね。

そう思ったのはネットで僕と同じ発達障害を持つ俳優の「栗原類」さんのインタビューの一言でそれに気づいたんです。


「僕が発達障害者であっても、そうでなくても僕は僕だし。

僕の個性が人を笑わせられるほど面白いのであれば

それはコメディ俳優を目指している僕にとっては本望です」(栗原類)


今は現実でもネット上でも嘲笑やからかいは受けてないんですが、過去にそうされたのは上記の栗原さんの言うように、ユーモアあふれる存在になっていたんだと思ってポジティブにとらえるようにしました。

 今まで現実やネット上で嘲笑やからかいをした人を一切憎んではいません。これは僕を成長させ、それに気づかせてくれた恩恵だと思ってます。

2024年9月22日日曜日

マツケンサンバⅡで考える日本の外国文化の見え方

 

性別、年齢問わずに日本人の誰もが聴いて楽しくなる音楽の代名詞といえば、

松平健さんの歌う「マツケンサンバⅡ」だろう。佳孟も大好きでよく聴いてます。

とにかく明るくて楽しいという事だけはなんとなく感じ取ることができます。

しかし、これをよく考察してみると色々と考えさせられるものがあります。


まず、タイトルに「サンバ」とありますが、このサンバはブラジル発祥の音楽だという事はご存じかと思われます。

 しかし、このことを念頭に置くと「マツケンサンバⅡ」にはさまざまなツッコミどころがあることでも有名です。


 まず、この曲で印象的なのは、公式のミュージックビデオでしょう。

キラキラの着物を着たバックダンサーと、主役の松平健さんにいたってはまるで彼が主演を務める時代劇「暴れん坊将軍」をゴージャスにした感じの金ぴかの着物にちょんまげ姿という、サンバなのかどうなのかよくわからない光景は見るものを圧巻させます。

 曲自体にもツッコミどころがあります。

・歌いだしに「叩けボンゴ」とあるが、ボンゴはキューバの楽器であってサンバでは使用されない。それどころかマツケンサンバⅡではボンゴの演奏が入っていない。

・「オレ!」という掛け声があるが、これはサンバではなくスペインのフラメンコの掛け声。更に言うと「カルナバル」もスペイン語。ブラジルの公用語はポルトガル語。

・「ビバ・サンバ」の「ビバ」はイタリア語でやはりポルトガル語ではない。

・サンバは4分の2拍子なのに対してマツケンサンバⅡは4分の4拍子。

・タイトルに「Ⅱ」とあるように、マツケンサンバはシリーズであり現段階で4まで存在する。4に至ってはサブタイトルに「情熱のサルサ」とあり、サンバなのかサルサなのかよくわからない。

こんな風にサンバではない要素が沢山あるマツケンサンバⅡですが、これこそが日本人の外国文化の見え方を象徴しているのだと思ったんですよね。


 例えば食べ物を例に挙げると、一般的に日本では洋食として捉えられているオムライスやナポリタンスパゲッティは本来は日本発祥の料理ですが、これにはちゃんと元ネタがあり、オムライスはフランスなどの料理のオムレツが元になっていて、ナポリタンスパゲッティはイタリアのパスタが元になっています。


 これをもとに考えるとおそらくこの曲の制作に携わった方々は「サンバをテーマにした歌を作ろう」という目標はちゃんとあったんだと思われます。しかし、本場ブラジルのサンバを模倣するのではなく、「サンバ=明るくて楽しい曲」という漠然としたというか大雑把なイメージに松平健さんの代名詞ともいえる時代劇を無理矢理組み合わせた結果出来たものだというのが僕の見解です。

 「外国の文化を日本人でも親しめるように日本なりにアレンジする。」

これこそが日本の培ってきた日本のスタイルなんでしょうね。


 でも、これは日本に限ったことではないんですよね。

逆に海外でも日本の文化が海外なりにアレンジされているというか、大雑把なイメージで日本の文化を考えてることはよくあります。

 例えば日本で思いつくのが「サムライ」や「ニンジャ」という存在。これをテーマにした

海外のゲームやアニメを日本人が見たら「なんかちがう…」と思うことは多々あります。


 外国の文化の見え方ってその国にとっては別の何かになっているという事がよくあるという事をマツケンサンバⅡで学びました。

2024年7月9日火曜日

サイコロを使ったゲーム

 

サイコロと言うとたいていの人は双六に使うものだと思っているはずです。

この双六は古代インドが発祥とされています。日本では奈良時代に中国から伝来したそうです。

現在知られているもので最古と言われている古代エジプトのボードゲームであるセネトというボードゲームでは駒の移動の際に原始的なサイコロである投げ棒型のサイコロが使われていたそうだ。

将棋やチェスの原型となった古代インドのチャトランガというボードゲームでもサイコロを使用するという説があるが詳しいことは不明である。

古代中国では六博と呼ばれるボードゲームで煢(けい)と呼ばれる14面、または18面のサイコロをしようしていたそうだ。

また中国で伝統的な双六に似た遊戯に陞官図(しょうかんず)というものがあり、4面の独楽型のサイコロを使用して、上りを目指すというもので、朝鮮ではこのゲームをスンギョンドといい、ユンモクとよばれる5面のロングダイスを使用する。

世界的に知られている双六といえば、バックギャモンだろう。公式な競技としても知られており、二つの立方体のサイコロを使用するほか、点数を上げるためのダブリングキューブというサイコロも使用されるそうで、六面にそれぞれ「2,4,8,16,32,64」が記されたサイコロを使うそうだ。


ボードゲーム以外のサイコロゲームとして知られているのがポーカーダイスというもので、日本でいうところのチンチロリンという賭博の西洋版といったところ。

ただ、チンチロリンと違い、サイコロにはトランプのマークが記されており、これを五つ振って、出来た役の強さを競う。一般には普通の6面だが、場合によっては4面、8面、10面、12面、14面のポーカーダイスも存在する。

2024年7月1日月曜日

「できる」ことを前提に考えてみること。

 

僕は一時、プロレスにはまっていた時期がありました。

最初に好きになったきっかけは「キン肉マン二世」を題材にしたビデオゲームだったような気がします。

そして、アメリカ最大のプロレス団体である「WWE」のビデオゲームに夢中になっていました。

そのWWEが毎年、プロレス界で功績をおさめたレスラーを表彰する「ホール・オブ・フェイム」という記念式典があります。

 その中で数少ない日本人レスラーにおそらく日本で最も有名なプロレスラーである

アントニオ猪木さんも殿堂入りしているんですね。


 そのアントニオ猪木さんのファンの間では割と有名なシーンがありまして、

試合前のインタビューでインタビュアーが「今回の試合、もし負けてしまったらどうするつもりですか?」という質問に対してアントニオ猪木さんは激怒して、


「戦ってもないのに負けること考える馬鹿がいるかよ!!」


といってインタビュアーをぶったたくというシーンがあるんです。


少々乱暴気味なシーンですが、これに似たもうちょっとソフトな言い方をした言葉が、

あるディズニー映画に出てくるんですよね。

そのディズニー映画は「王様と剣」という映画なんですけど、こんなセリフが登場するんです。


"If you don't try, you'll never know."

日本語では「やってみないとわからないよ」という簡単なセリフ。


上記のアントニオ猪木さんの言葉に比べるとかなり温度差がありますが、

僕が考えるには、この二つのセリフはほぼ同じ意味だと思うんですよね。


要するに「できる」と思って目の前の使命に立ち向かうことの大切さだと思うんです。

アントニオ猪木さんのこの言葉には「まず挑戦してそれから結果に対して考える」ということが言いたかったんだと思います。何もせずに負けたり失敗を恐れてちゃ何もできません。

 とにかく可能性を信じるということが重要なんだなと、この二つの言葉から学びました。


 余談ですがアントニオ猪木さんの応援に「猪木、ボンバイエ」というものがありますが、

これは元々、モハメド・アリが王者ジョージ・フォアマンにタイトル戦で戦った際に試合が行われたアフリカの当時のザイールの地元の観客が現地の言葉で「アリ、ボマ・イエ(アリ、そいつをやっちまえ)」と歓声を上げたのがきっかけだそうで、そのモハメド・アリがアントニオ猪木さんと異種格闘技対決をした際にアントニオ猪木さんが勝ってアリがその栄光をたたえて、「猪木、ボンバイエ」という歓声をプレゼントしたそうです。

2024年6月11日火曜日

ケモナーとしての佳孟、カムバックか

 

以前の記事で、僕はケモナーだったけどいつの間にかケモナーじゃなくなってたという記事を掲載しました。


 しかし、最近になって再び獣人を描く頻度が多くなり、こっちがメインになりつつあります。


 ひょっとすると、また僕はケモナーとしてカムバックする可能性が出てきました。

 やっぱり運命とは奇妙なものです。一度足を洗ってもまた再び復活することもある。

 ケモナーであることは悪いことではありません。いったんやめてまた復活しても特に何の問題もないと思うんですが。

 いや、もしかしたらケモナーのようでケモナーじゃないかもしれません。

 自分でもよくわからん。

2024年5月25日土曜日

信じるべきは情けなき科学か、道徳的な疑似科学か。

 

以前、信じ込みやすい性格で小学生の頃、龍を信じていたという話を書きました。

それ以外にも印象的で似たような出来事を思い出しました。


 確か小学6年生くらいのときでしょうか、全校集会か何かである先生がこんな話をしたんです。

「水の入った容器にきれいな言葉を書いた紙を巻き付けて凍らせると、綺麗な結晶になる。逆に汚い言葉や罵声を書いた紙を巻き付けて凍らせると、いびつな結晶になる。

 人間はほとんど水で形成されています。だからこんなふうに言葉で気持ちに影響が出るんです。だからきれいな言葉を使ってください。」


 当然ながら、当時それを聞いた僕はてっきりそうなんだと思っていました。


 で、時は経って中学生になった時、多分僕の人生で一番尊敬している理科の先生が、上記の水の結晶の話を持ち出して、明確に「そんなわけない」と完全否定したんです。

 その時僕は「小学校の時のあの先生に騙されたのか。」と思いました。クラスメートはおろか、学校の先生にも騙されたんです。


 この出来事を今になって考えてみると、かなり頭を抱える問題だと思いました。


 小学校の先生が言った水の結晶の話は、決して悪い騙しではないんですよね。

小学校の先生が言いたかったのは「言葉遣いに気をつけなさい」ということを伝えたかったのはよくわかるんです。

 でも、あたかも科学的にそうであるとして説得性を高めようとするのはどうかと思うんですよ。

 教師として生徒に嘘を教え込むのは良くないんだけど、良いことを教えたい気持ちは十分理解できるんです。

 しかし、科学とは時として非情です。どんだけ道徳的にしようとしても、情けなき現実を突き付けてくるのが科学というものです。


 ようするに教え方の問題だと思うんですよ。遠回しに変に説得力持たせて「言葉遣いに気を付けて。」と言うよりも、単刀直入に「言葉遣いには気をつけろ。」と言うべきなんですよ。

 僕が言いたいのは「科学に道徳的なことを持ち込まないでくれ。」ということと「疑似科学やオカルト的なことで説得力を上げようとしないでくれ。」ということです。

2024年5月21日火曜日

最近思いついた二つの短い言葉。

 

33歳になっていろんなものに気づきました。

今回は僕が思いついたアフォリズムを二つ紹介。


It depends on the person...
You can't create anything good unless you're lonely.

「人にもよるが…
独でなければ良いものは作れない。」

絵という創作活動をおよそ10年以上やってきて気づいた事です。
僕にとって最初は絵を描くのはみんなと交流するための手段でした。

しかし、何度も縁を切られては新しい出会いを見つけ出すの繰り返しで分かってきたんです。
他人にどう見られているかを心配するよりも、自分がどう思うか。
正味の話、商業目的でイラストやデザイン、漫画を描く場合は相手がどう思うかが重要です。
しかし、今僕が絵を描くのは所詮は単なる趣味。自分がいいと思うものを自分らしく表現する。これが一番ベストだと気付いたんです。

Some answers, especially answers about life,
Sometimes you don't know unless you take a detour.

「ある答え、特に人生に関する答えは、
回りしないとわからない時がある。」

これは僕が仕事をしていて気が付いたことです。
今やっている仕事は工場や事務所の清掃で、この仕事が好きなんです。

でも、それ以前にファミレスの清掃の仕事もしてたけど、短い期間で辞めてしまいました。
で、それ以降も清掃作業の仕事をする選択肢はあったんですが、自信が持てず、これを選ぶことはありませんでした。

そして今になって気が付きました、ぼくのできる仕事は清掃の仕事なんだと。

この仕事に就いて3年たちますがそれが僕にとっての正しい答えだと気付くには長い年月がかかりました。

答えを導き出すには、いくつもの経験や失敗、そして学びを長く続けることなんだと気付きました。