僕は小学生高学年くらいから漫画家になりたいと思ってました。
そんでもって漫画家になるにはどうしたらいいのか調べたり、中学校で美術部にいた頃は漫画のノウハウを紹介した参考本などを読み漁ってました。それで短大で美術とデザインを専攻していた頃の後期あたりに実際に10ページ程度の読み切り漫画を制作して、漫画を作る過程を学びました。
その一連の学びを通して、漫画について分かったことがあります。
「漫画に必要なのは、絵の上手い下手ではなく、シナリオやストーリーでいかに読者を引き付けるか。」
これが漫画の基本だという事がわかったんです。
漫画家という仕事はとにかくシビアな世界です。漫画には読者がわからないくらい沢山の山が立ちはだかっています。
まず、漫画を連載するうえで一番大切なストーリーの流れを文章でまとめた「プロット」というメモからはじまり、そこからコマの割り振りやキャラクターの配置、セリフなど大まかなイメージを示した「ネーム」を作り、それを編集者と呼ばれる出版社の社員が閲覧したうえで漫画の構成の変更やレイアウトの修正などを漫画家に指示し、こういったやり取りが繰り返し行われ、編集者がその工程を経てOKのサインを出してやっと漫画家は連載できるいわゆる「原稿」の制作に取り掛かるのです。
もうひとつ、漫画家がシビアな業界といわれる理由の一つに「読者からの人気というジャッジ」があります。漫画雑誌には読者アンケートというものがあり、そのアンケートの数で漫画の人気を出版社が把握します。人気のある漫画はいいんですが、アンケート投票が少ないと人気がない漫画と判断され、結果、連載途中でもいわゆる「打ち切り」という終わり方をしてしまう漫画は沢山あります。
打ち切り終了とは逆のパターンもあります。漫画家は「この辺で完結させよう。」と思っていたけど、人気がありすぎて編集者から「続けてくれ」と連載継続を頼まれることもあります。
連載継続となると問題になってくるのは「設定の後付け」というものがあります。漫画家が考えていたストーリーの設定では連載継続は難しく、いつ完結あるいは打ち切りになるかわからない状況になり、苦肉の策で元々考えていた設定に新しく設定を付け加えるという方法をとらざるを得ない状況になるのが人気漫画のセオリーみたいなものです。
漫画業界においても最もシビアな業界である集英社の週刊少年ジャンプの漫画では特に、この「設定の後付け」が著しいのですが、ストーリーの進め方の上手い漫画家はうまく後付けを隠してストーリーを展開させています。その例を二つ挙げると一つは「北斗の拳」。北斗の拳は北斗神拳を使うケンシロウがそれと対を成す南斗聖拳の使い手であるシンを倒して恋人であるユリアが自ら命を絶っていたというあたりで完結するはずだったそうですが、人気ゆえにそれからも連載継続することになり、ケンシロウに兄弟がいたり、南斗聖拳の使い手が複数いたり、そして死んでいたはずの恋人のユリアが実は生きていたという、よーく読んでみると後付けっぽいストーリーの展開があるのがわかります。
もう一つはジャンプ至上、いや、すべての漫画業界においても大人気の漫画「ONE PIECE」でしょう。どうやらこの漫画は単行本10巻くらいで完結する予定だったそうですが、人気がありすぎて現在はなんと単行本100巻以上もストーリーが続いているという快挙を成し遂げている漫画です。元々、この漫画は作者が伏線を沢山用意しているので、ある程度設定を後付けしても見事につじつまを合わせているのが人気が続いている理由でしょう。
でも、僕があえてこの2作品とは別に「これはこれで見事だ」と思う漫画が北斗の拳と同時期くらいにジャンプで連載されていた漫画「魁‼男塾(さきがけ!!おとこじゅく)」なんですね。なにが見事かって言うと「これ本当に編集者がOK出したのかな?」って思うくらいストーリーの進め方がめっちゃくちゃなんです。
その代表的な例として、主人公の「剣 桃太郎(つるぎ・ももたろう。通称:桃)」の先輩にあたる「大豪院 邪鬼(だいごういん・じゃき)」というキャラクター。
まずこの邪鬼の初登場シーンなんですが、明らかに人間じゃないとんでもなく巨大な大きさで登場するんですが、桃が邪鬼と対決するストーリーになると、何故か普通の人間サイズになっているんですよね。この変化に対して作者はどう説明づけたかというと「恐怖心や畏怖によってオーラででかく見えていた」という強引すぎる設定というか、その場しのぎの言い訳のような説明で釈明したんです。
さらに、この邪鬼はサイズだけでなく生きているのか死んでいるのかストーリーが進むにつれてハッキリしないんですよね。
僕が知っている限りだと、邪鬼は敵との戦いで死を悟って敵を倒した後に、自分の必殺技を自分に食らわせて骨も残らず消滅したんですが、ジャンプと同じ集英社のプレイボーイに連載された同じ作者が描いた「天(そら)より高く」という漫画で、男塾の登場人物のその後の姿が描かれているんですが、その中になぜか消滅したはずの邪鬼が普通に登場するんです。でも、その後にスーパージャンプで連載された男塾の続編漫画「暁‼男塾(あかつき!!おとこじゅく)」では、邪鬼の息子が登場した際に死んでいるという設定に戻ってたんです。更に進んで日本文芸社の漫画ゴラクに連載された「私立極道高校(しりつきわめみちこうこう)2011」では何の説明もなく生きているだけでなく、初登場と同じ怪獣サイズの巨人で登場したんですね。
僕は漫画家という夢を捨てて(とはいうもののイラストは描いている)普通の仕事を選び、漫画は殆ど読まなくなったんですが、この男塾シリーズとこの作者の作品は普通に好きです。理由は一つ。自由すぎるから。

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