2024年11月24日日曜日

障害者の僕が植松聖の事件で思ったこと。

 

2016年7月26日、某所の障害者支援のための入居施設に男が侵入し、入居している障害者を次々と刃物で刺すという事件がおきた。


 この事件で入居していた障害者19人が殺害されてしまった。

事件の犯人はこの施設の元職員だった植松聖で、事件を起こした動機は障害者に対する憎悪によるものだった。いわゆる差別意識にもとづくヘイトクライムの一種だといわれている。

事件から4年後の2020年に犯人は裁判で死刑判決になり、植松自身が控訴を取り下げたため、刑が確定した。


 障害者の一人である僕がこの事件をニュースで知った時、「許せない」という憤りよりはむしろ、「ああ、予測していた事がとうとう起きてしまったか。」という失望感のほうが大きかった。要するにいつかこういう事件が起きるだろうとある程度イメージが出来ていたのが正直な感想です。

 死刑が確定した時点で事件の流れとしては解決したかもしれないが、根本的な解決になったのかといわれると、僕が思うに、全く解決には至っていないというのが見解です。

 この事件は単に障害者差別による事件ではなく、障害者への福祉支援や介護の在り方に問題があるのではないかというのが、僕の思いです。


 この事件で重要なのは、「犯人が施設の元職員だったこと」と「犯人は意思疎通の取れない障害者だけを狙った」という2つの事実だと思います。


後者について具体的に話すと、犯人は逮捕された後の供述で「意思疎通の取れない障害者は安楽死するべき。」と話しており、意思疎通の取れない障害者を「心失者」という造語でそう呼んでいたそうだ。真偽はわかりませんが、犯人は無差別に障害者を狙ったわけではなく、挨拶をしてそれを返した入居者は襲わなかったといわれています。

 これが何を意味するかと言うと、いかに障害者の介護が問題だらけかということです。

 僕も障害者ですが、障害の程度は軽く、ある程度サポートを必要とするものの普通に社会生活で難しい問題はありません。

 しかし、障害者の中にはかなり重度の障害を持っている人は多くいて、彼らは社会生活はおろか自分で服を着たり、トイレもまともにできない人もいるといわれています。

 事件のおきた施設ではそういった方が職員の介護によってやっと生活できている状態だったと思われます。

 実際に経験したわけでは無いので詳しくはわかりませんが障害者を介護する仕事はかなり過酷だと思われます。

 一般常識で助けられたら「ありがとう」とかそういう感謝の気持ちを言葉で伝えるのが普通ですが、障害者の中にはそれすらできない方もいます。

 このことをまとめると職員だった犯人はこの過酷な介護をやっているにもかかわらず「ありがとう」の一言も言われないという理不尽な環境の中で、意思疎通の取れない障害者に憎悪を抱き続けていた結果、とうとうそれが殺人と言う結果を生み出してしまったというのが、この事件のプロセスだと思われます。


 僕が言いたいのは、誰かの支えが必要な人がいる場合、支える側も支えられる側と同じくらい大切な存在だという事を知ってほしいという事です。

 なんでもいいからとにかく障害者介護の現場を改善しない限り、植松聖のような存在がまた現れる可能性があるという事をかんがえるべきなんです。

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