嘲笑、要するにあざ笑うという反応。これまでの学校生活で嘲笑されたりからかわれたりしたことは多々あった。学校を卒業して社会人になると現実以外にもネット上でも嘲笑されたりからかわれるようなコメントを食らってた時期があった。
僕みたいな発達障害を持っていると大抵はそう思われても仕方ないというか、自分のわがままな迷惑行為でそうなってしまったというべきか、そうされるというのは僕の責任であるわけで誰かを責めるわけにはいかない。
嘲笑やからかわれる行為をうけた最初の頃は嫌でたまらなかった、でも最近安定してきて気づいた事がある。
「嘲笑されるということは、ユニークで、ユーモアがある人間だからだ。」
良かれ悪かれ笑われるという事は笑わせることができるということに変わりない。
むしろそれはそれまでの常識を変える絶好の機会だと思ったんですよね。
そう思ったのはネットで僕と同じ発達障害を持つ俳優の「栗原類」さんのインタビューの一言でそれに気づいたんです。
「僕が発達障害者であっても、そうでなくても僕は僕だし。
僕の個性が人を笑わせられるほど面白いのであれば
それはコメディ俳優を目指している僕にとっては本望です」(栗原類)
今は現実でもネット上でも嘲笑やからかいは受けてないんですが、過去にそうされたのは上記の栗原さんの言うように、ユーモアあふれる存在になっていたんだと思ってポジティブにとらえるようにしました。
今まで現実やネット上で嘲笑やからかいをした人を一切憎んではいません。これは僕を成長させ、それに気づかせてくれた恩恵だと思ってます。
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