以前、信じ込みやすい性格で小学生の頃、龍を信じていたという話を書きました。
それ以外にも印象的で似たような出来事を思い出しました。
確か小学6年生くらいのときでしょうか、全校集会か何かである先生がこんな話をしたんです。
「水の入った容器にきれいな言葉を書いた紙を巻き付けて凍らせると、綺麗な結晶になる。逆に汚い言葉や罵声を書いた紙を巻き付けて凍らせると、いびつな結晶になる。
人間はほとんど水で形成されています。だからこんなふうに言葉で気持ちに影響が出るんです。だからきれいな言葉を使ってください。」
当然ながら、当時それを聞いた僕はてっきりそうなんだと思っていました。
で、時は経って中学生になった時、多分僕の人生で一番尊敬している理科の先生が、上記の水の結晶の話を持ち出して、明確に「そんなわけない」と完全否定したんです。
その時僕は「小学校の時のあの先生に騙されたのか。」と思いました。クラスメートはおろか、学校の先生にも騙されたんです。
この出来事を今になって考えてみると、かなり頭を抱える問題だと思いました。
小学校の先生が言った水の結晶の話は、決して悪い騙しではないんですよね。
小学校の先生が言いたかったのは「言葉遣いに気をつけなさい」ということを伝えたかったのはよくわかるんです。
でも、あたかも科学的にそうであるとして説得性を高めようとするのはどうかと思うんですよ。
教師として生徒に嘘を教え込むのは良くないんだけど、良いことを教えたい気持ちは十分理解できるんです。
しかし、科学とは時として非情です。どんだけ道徳的にしようとしても、情けなき現実を突き付けてくるのが科学というものです。
ようするに教え方の問題だと思うんですよ。遠回しに変に説得力持たせて「言葉遣いに気を付けて。」と言うよりも、単刀直入に「言葉遣いには気をつけろ。」と言うべきなんですよ。
僕が言いたいのは「科学に道徳的なことを持ち込まないでくれ。」ということと「疑似科学やオカルト的なことで説得力を上げようとしないでくれ。」ということです。
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